映画『のび太の恐竜2006』〜その2 様々なDNA
2006-03-14


映画としてのカタルシスがたまらない新『のび恐』。
見ているといろいろ思い浮かびます。

アニメーション的には宮崎アニメ……と言うか『カリオストロの城』のDNAを彷彿。
水に沈む建造物というイメージをクライマックスにダブらせたり、捕まえた悪党をふんじばって”悪い人”と貼り紙して去っていくセンス、「彼らは先に行った」とか、TPの敬礼によって感じる高揚感が……なんか、その辺つーか。

長い間『E.T.』を引き合いに出されていた作品ですが、今回の映画にスピルバーグ映画のDNAを端々に感じてしまっている自分が居ます。

恐竜映画として新古典になってしまったせいもあり、様々な場面に『ジュラシックパーク』シリーズの影響が見て取れます。
前半では怪獣映画的な”貯め”がカッコイイ。スピルバーグ監督も散々使う手ですが、本体を見せずに周囲に起こる現象を見せて間接的に存在感を感じさせるのは、見えなくても息づいていることを感じさせてくれてドキドキします。
登場する多くの恐竜は『ジュラシック・パーク』の影響を受けた恐竜セレクト。
まぁ、その辺は人気恐竜を選ぶとそうなってしまうのでしょうけれども。

そして意識的とは思いませんが、今回の意外なラストカッティング。あの瞬間に本編が終わるなんて原作ファンや旧アニメ版のファンは想像しえなかったでしょう。
あの終わり方は『E.T.』と同じ高揚感で余韻を残さないカッティング。
飛び去るUFOを見送るエリオットたち主人公の笑顔で高らかなファンファーレの高揚と共にジャンッ!!と切る潔さに相通じる感覚があります。

映像作家として様々な栄養を吸収して生かそうとしていれば、片鱗が見て取れるのは当たり前ですが、何も全て借り物だと否定的な指摘をしたい訳ではありません。
ことに今回のラストショットには「やられた!」と思わせる白眉の構成でした。

※以下ネタバレ

禺画像]
一部ドラファンに拒絶反応を起こさせているギャグシーン「あたたかい目」。 映画版「あたたかい目」は気持ち悪い目をしている、と拒絶していてはドラマを読もうとしないで表層で騒いでいるだけだと思わざるを得ません。
だって、この映画って通して「あたたかい目」の話でしょ?

原作の中で「あたかい目」は書き文字で表現されたギャグシーンでした。
80年版映画では大山さんが、まんまセリフで言ってしまう演出で再現。横に居るのび太に真意を伝えないまま、不気味に思わせる展開からすれば音読じゃ、聞こえるだろうというツッコミを子供心にしていました。しかし、そのままの映像化という意味においては充分機能していたと思います。

今回の映画では不気味な目つきをしていて、やはりギャグシーンとして登場するものですが、こう付け加えられています。
「あたたかい目って、どんなだろう。」
その自問に始まり、色々な目を意識的に試すドラえもん。
意識的に探ろうとすればするほど不気味な笑みになってしまうのは真意かもしれません。
禺画像]
ピー助に無心の愛情を注ぎ育てるのび太。ピー助と一緒に眠るのび太を眺め、微笑によって、やっと原作通りの「あたたかい目」を無意識に浮かべることになります。
以降、ドラえもんの「あたたかい目」の自問は登場しません。
元来、子守用ロボットとして誕生し、のび太の世話をするために同居しているドラえもんの基本設定を消化する流れともいえます。

そして今回の映画では意識的に5人のそれぞれのパーソナリティを掘り下げ、5人+ピー助こそが映画版の主人公だと言うアプローチを掘り下げる白亜紀の冒険。
ピー助とのノスタルジーに浸るのび太を本編で描くことを辞め、バッサリとしたラストショットは静かな高揚感に満ちています。


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