20数年ぶりに再読『はだしのゲン』
2006-08-14


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親や尊敬するこりエイターが戦中派であることが少なくない世代にとって、これから自分たちがどう次世代へ受け取ったバトンを回して行くべきか、悩ましいものがあります。特に戦争にまつわるものは体験している人とは隔絶の感があり、”戦争を知らない子供たち”である自分たちがどう立ち向かえば良いのか。そんなことを考えているの所に先週、今週の二週にわたってコンビニに配本されたジャンプリミックス版の『はだしのゲン』と出会いました。
終戦記念日に合わせてのタイミングなのでしょう。懐かしさと同時に改めて読み返したくなり手をとりました。

小学生の頃、クラスで回して読んだ記憶があるのですが、そもそもジャンプで連載されていた漫画であると言うことすら意識していませんでした。学校図書の印象が強くて勝手に書き下ろしの単行本だと思っていました。そう思わせたのもハードカバーの本の体裁が理由だったような気がします。
容赦のない描写に刻まれた強烈なシーンは同時に何か近くて遠いアナザーワールドとしてすんなりと受け入れてしまったような気が今でこそします。現実にあったことだと頭では理解していても、それがはるか昔の話で手の届かない世界であることに何か安心し、残酷なシーンでさえも真正面から受け止めることが出来たのは子供だったからなのではないかと改めて思ってしまいました。

20数年ぶりに読み返して一番感じ方が変わったのはその感覚が一切消えていたことです。子供の頃は大人たちに自分と同じような子供の時代があることは想像できなかったし、実感がなかったのですが歳をとり、自分がそう思われる側になってみると61年前が決して大昔ではないことを思い知り実感されるのです。
たった61年前に起こったこと、そう思うと子供の頃に読んで知った話のはずの漫画がまるで違う重み、実感を伴って迫ってきます。戦争と言う狂気の世界で起こった地獄絵図。原爆の体験漫画だと記憶をゆがめていた自分は、丁寧に描写された戦争中の市民を描く序盤から驚かされました。
決して平和とはいえない時代に暮らす人々、そして家族と言うかけがえのないもの。丁寧な描写が刻一刻と迫るその瞬間に向かう緊迫感。
きれいごとではない”生きていくこと”を力強く描く展開。やりきれない世界であると同時に登場人物の魅力に引き込まれました。

今の子供達は『はだしのゲン』を読むのでしょうか。
その時は分からなくても育ってから理解することはたくさんあると思います。ぜひとも、読み継がれていくことを願う作品です。
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