改めてフィリップ・ノワレPhilippe NOIRET話
2007-01-31


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「大貴族のような奴だったよ。気品をいうものを彼から教わったんだ。(亡くなる)4、5日前、彼に会った、彼の部屋まで行ったんだ。自宅で妻のモニク・ショメと娘のフレデリックに看取られていた(訳注:ガンで闘病中だった)彼の姿に動転した私を見るとこう言ったんだ「あぁ、泣かないで、僕らには(涙は)似合わないよ!」彼に勇気をもらったよ。すぐに彼の手を取った。手に手を取り合う馬鹿二人って感じだったね。若い医者がやってきて、手を握り合う老人二人を見てにっこりしてた。それで勇気が出たんだ、この医者が微笑んでくれたことでね。勇気を出して聞いてみたよ「(死ぬのは)怖いかい?不安かい?」ってね。彼はこう答えてくれた「こんななりで酷いもんさ、もちろん不安だらけだよ!」こうしてる間、彼は私をずーっと笑わせてくれてたんだ。あれはエレガンスの極みってもんじゃないかな」

死の間際まで笑わそうとする旧友とのひと時。『パトリス・ルコントの大喝采(1996)』で見せたロシュフォールやJ・P・マリエルとのバディぶり、体を壊し薬を飲むときに娘の前で力ないジョークを見せる『魚のスープ(1992)』、幽霊になりビデオゲームの世界に入って息子を元気づける『運転手つき幽霊(1995)』、貴族的なムードをたたえる『最後の晩餐(1973)』『タンゴ(1992)』のエレガン……、数々の映画の記憶に一瞬、素顔のフィリップ・ノワレを重ねフラッシュバックする。
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M・マストロヤンニが著書の中で、役作りの苦労話を自慢するような同業者を揶揄しながら、自分にとってそれは苦労ではなく楽しいものだと説いた。楽しんで演技をするその感覚はフランス人の使う言葉ジュエ(Joue)<遊ぶ=演技も指す表現だそう。>に一番近いと話していた。

ノワレ出演作はコメディも強く、逆にどんなに陰惨なテーマを演じていてもJoueしていたのではないか、そう思うとまた違った愉しみ方が出来そうな気がする。再鑑賞が楽しみになってきた。

『ニュー・シネマ・パラダイス』のアルフレード役はシナリオ執筆時はM・マストロヤンニを想定してた。そのイメージを想像しながら、どうノワレ氏が演じているかズレを想像するのも楽しい。

遺された仕事は膨大だ。時分は一生かかってもその全てを愉しみきることはないだろう。そう考えると寂しさも小さいと改めて思えるのでした。

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